眸和哉(ヒトミン)のblogです。
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arico.は2015年11月25日午前1時頃、ご家族に見守られる中、癌により息を引取りました。
通夜、告別式については、近親者と生前お付き合いのあった友人達で執り行われました。
arico.ブログ
arico.twitter
まだ夢の中にいるようです。信じられません・・・。
11月17日(火)午前、久しぶりにarico.からlineで連絡が来たと思ったら真っ白な肺のレントゲン写真に「すごくね?(笑)」です。言葉を失ってしまい何を言って良いか分かりません。本人も動揺しているのが分かったのですが、とても簡単に励ましなんて出来ません。とにかく必要なことがあったら手伝うからと伝えるだけで精一杯でした。
arico.は15年前一度癌と闘っています。すぐにそのときと同じ病院に移ることになり、万全の体制で闘う準備がされていました。
18日(水)、病院へ送るため、部屋を訪ねてインターホンを押すといつものarico.が迎えてくれました。咳が酷かったらしく声が擦れていましたが、顔色も良く痩せているわけでもなく、重病人には見えません。髪を坊主に丸めていたので「早すぎんだろ(笑)」と突っ込みを入れたりで、 顔を合わせた瞬間から笑いあういつも通りの挨拶です。
移動はかなり厳しそうでした。歩くだけで息が切れ「ずっとヒルクライムしてるみたい。」と笑いながら車に乗り込みます。
病院までは2時間のドライブでした。助手席に座っている間は咳きも出ず気分も良さそうです。いつも通りの小学生が大好きなネタに大喜びして2人とも沢山笑いました。数年前はこんな時間が沢山ありました。この2時間は私の宝物です。
病院に着くと診察や検査、入院準備に忙しくなります。友人の私はお役ごめんです。ご家族に経過や面会可能日を教えてもらえるようにお願いして退散します。
arico.にすぐにお見舞いに来るからと伝えた時でした。凄い力で手を握られました。「ヒトミンほんとうにありがとう!」こんなことを言う人ではなかったのでとてもビックリしたのですが悲しい気持ちになりました。そしてこれが最後の別れになってしまいました。
入院してからも状況報告が入ってきます。それらはどれもユーモアがあって辛さは全く伝わってきませんでした。arico.らしいなぁと思いました。
20日(金)集中治療室に入って本格的に抗癌剤治療が始まります。このときアイホンを取りあげられてしまうのですが、それが直接やり取りした最後の履歴になりました。
「スマホダメだって ごめんまたねー」
「残念すぎる まってるぞー」
「はーい ではね!」
その後のことはご家族から聞いた話と、見せてもらった写真でしかわかりません。
1回目の抗癌剤は急変もなくうまくいったようです。これには本人もご家族もほっと胸をなでおろしたとか。しかし2回目に急変があったそうです。肺に広がった癌を攻撃する為、周りにもかなりの影響が出てしまうそうです。聞いたままは書けないのですが、「肺が潰れる」と表現するそうです。おそろしいです・・・。
この2・3日がやまという知らせに駆けつけるべく用意をしていると、友人は面会できないと言われてしまいました。それはそうですよね・・・。命のやり取りをしている集中治療室に入れるはずもありません。
しかし会うことができなくても近くで応援したいと伝えました。するとそのあと奇跡的に意識を回復したarico.がなにやらメッセージを筆談しはじめたらしく写真が送られてきました。
それは感謝とあわせて絶対に戻る!という強い思いが込められていました。これを「ちゃんともどるから来なくて良い」と受け取った私は信じて待つことにしました。
しかし、25日未明ご家族が懸命に呼びかけるも最後には逝ってしまったとのことです。
大人になってこんなに泣くことがあるんだとはじめて知りました。これを書いているいまも思い出して顔がぐしゃぐしゃなのです・・・。
通夜、告別式では親しかった友人達は皆涙を流していました。全員いい大人です。その様子はご両親がとても驚き喜んでいました。どんな友人となにをしてどう過ごしていたか。知らなかったarico.に会えたと言ってくれました。大人になると交友関係なんて親に報告すること無いですからね。
そして最後のお別れ。
「あなたの骨は私が拾ってやるw」
そんな冗談を言っていたのが本当に拾うときが来てしまいました。しかもこんなに早く。
ご家族のご厚意で私は最後まで送ることが許されました。なので、最後は「ちゃんと見届けたからな!バカヤロウ!」と伝えました。
改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。
まだarico.に托されたものがあるので、ちゃんとしないとけない。悲しみに委ねてばかりもいられない。心を整理する意味も含めてここに書くことにしました。
まもなくしぬ
ヒトミン
通夜、告別式については、近親者と生前お付き合いのあった友人達で執り行われました。
arico.ブログ
arico.twitter
まだ夢の中にいるようです。信じられません・・・。
11月17日(火)午前、久しぶりにarico.からlineで連絡が来たと思ったら真っ白な肺のレントゲン写真に「すごくね?(笑)」です。言葉を失ってしまい何を言って良いか分かりません。本人も動揺しているのが分かったのですが、とても簡単に励ましなんて出来ません。とにかく必要なことがあったら手伝うからと伝えるだけで精一杯でした。
arico.は15年前一度癌と闘っています。すぐにそのときと同じ病院に移ることになり、万全の体制で闘う準備がされていました。
18日(水)、病院へ送るため、部屋を訪ねてインターホンを押すといつものarico.が迎えてくれました。咳が酷かったらしく声が擦れていましたが、顔色も良く痩せているわけでもなく、重病人には見えません。髪を坊主に丸めていたので「早すぎんだろ(笑)」と突っ込みを入れたりで、 顔を合わせた瞬間から笑いあういつも通りの挨拶です。
移動はかなり厳しそうでした。歩くだけで息が切れ「ずっとヒルクライムしてるみたい。」と笑いながら車に乗り込みます。
病院までは2時間のドライブでした。助手席に座っている間は咳きも出ず気分も良さそうです。いつも通りの小学生が大好きなネタに大喜びして2人とも沢山笑いました。数年前はこんな時間が沢山ありました。この2時間は私の宝物です。
病院に着くと診察や検査、入院準備に忙しくなります。友人の私はお役ごめんです。ご家族に経過や面会可能日を教えてもらえるようにお願いして退散します。
arico.にすぐにお見舞いに来るからと伝えた時でした。凄い力で手を握られました。「ヒトミンほんとうにありがとう!」こんなことを言う人ではなかったのでとてもビックリしたのですが悲しい気持ちになりました。そしてこれが最後の別れになってしまいました。
入院してからも状況報告が入ってきます。それらはどれもユーモアがあって辛さは全く伝わってきませんでした。arico.らしいなぁと思いました。
20日(金)集中治療室に入って本格的に抗癌剤治療が始まります。このときアイホンを取りあげられてしまうのですが、それが直接やり取りした最後の履歴になりました。
「スマホダメだって ごめんまたねー」
「残念すぎる まってるぞー」
「はーい ではね!」
その後のことはご家族から聞いた話と、見せてもらった写真でしかわかりません。
1回目の抗癌剤は急変もなくうまくいったようです。これには本人もご家族もほっと胸をなでおろしたとか。しかし2回目に急変があったそうです。肺に広がった癌を攻撃する為、周りにもかなりの影響が出てしまうそうです。聞いたままは書けないのですが、「肺が潰れる」と表現するそうです。おそろしいです・・・。
この2・3日がやまという知らせに駆けつけるべく用意をしていると、友人は面会できないと言われてしまいました。それはそうですよね・・・。命のやり取りをしている集中治療室に入れるはずもありません。
しかし会うことができなくても近くで応援したいと伝えました。するとそのあと奇跡的に意識を回復したarico.がなにやらメッセージを筆談しはじめたらしく写真が送られてきました。
それは感謝とあわせて絶対に戻る!という強い思いが込められていました。これを「ちゃんともどるから来なくて良い」と受け取った私は信じて待つことにしました。
しかし、25日未明ご家族が懸命に呼びかけるも最後には逝ってしまったとのことです。
大人になってこんなに泣くことがあるんだとはじめて知りました。これを書いているいまも思い出して顔がぐしゃぐしゃなのです・・・。
通夜、告別式では親しかった友人達は皆涙を流していました。全員いい大人です。その様子はご両親がとても驚き喜んでいました。どんな友人となにをしてどう過ごしていたか。知らなかったarico.に会えたと言ってくれました。大人になると交友関係なんて親に報告すること無いですからね。
そして最後のお別れ。
「あなたの骨は私が拾ってやるw」
そんな冗談を言っていたのが本当に拾うときが来てしまいました。しかもこんなに早く。
ご家族のご厚意で私は最後まで送ることが許されました。なので、最後は「ちゃんと見届けたからな!バカヤロウ!」と伝えました。
改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。
まだarico.に托されたものがあるので、ちゃんとしないとけない。悲しみに委ねてばかりもいられない。心を整理する意味も含めてここに書くことにしました。
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・眸和哉(ヒトミカズヤ)
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こんにちは、ヒトミンです。
これからの季節、寝袋生活は相当ハードですが、がんばって乗り切ります。コミティア、コミケなど色々なイベントに出ていますので遊びに来て下さいね。
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